2025.06.14
「懐かしい」という感情に異様なほど惹かれます。
自分の絵にも無意識に頻繁に登場するモチーフですが、自然物のように明確ではなく、なぜ好きかを理解できないまま衝動に駆られて描いています。
自分が懐かしさを欲しがる理由を定期的に分析していますが、いまだにしっくりくる答えが出てきません。これはずっと考え続けるだろう命題なので、現時点での考察を記録します。
懐かしさはもう無い場所への郷愁と認識しています。ノスタルジアは、古代ギリシャ語の 「ノストス(帰郷)」+「アルゴス(痛み)」が語源だそう。
懐かしさにも種類があって、自分が過去に経験した何かの輪郭に触れる瞬間の懐かしさもあれば、他者の記憶や物語の中から垣間見える懐かしさもあります。
前者はわかりやすく、自分の中で例えるなら、
夏は祖母の家でよく涼んだ。冷房はなく、網戸からくる弱い風と蚊取り線香の匂いをよく覚えている。なので今でも蚊取り線香の匂いを嗅ぐと、祖母の家と当時の夏の緩い暑さを思い出す。
こんな感覚です。これは実体験ベースなので、誰にでも似たような感覚があると思います。より興味深いのは後者です。
例えば、映画ホビットの第二作目のエンディングソングになっている、『I See Fire』という曲。私はこれを聴くと、少しの間なにも考えられなくなるくらいの郷愁に駆られます。
この曲は、劇中で描かれる登場人物たちの死の予感や戦火の行く末、彼らが背負ってきた過去を歌っています。
映画を観ることで架空の世界を追体験し、懐かしさを感じとっているのです。そして自らの体験ではないのに「懐かしい、戻りたい」と思うこと。
これは物語や音楽を通して感じる懐かしさとしてまったく珍しいものではないですが、よくよく考えると不思議です。
追体験によって自分の経験の一部に組み込まれる=過去の一部になると考えるとなんとなく腑に落ちる気もしますが、言語化が難しいですね。
懐かしさを分解すると、その語源にあるように痛みが伴います。
過去を振り返るとき、「こんなところまで来てしまった」と、現在へ続く途方もない陸続きの道のりを実感します。
カントリー・ロードの歌詞にあるような、「帰りたいけど、帰れない」という気持ちが込み上げてきて、それが痛みになる。
でもそれは、心からの苦しさというよりも、やわらかくて優しい感覚を含んだ痛さです。
この絶妙なバランスがあるからこそ、懐かしさは「切ない」と表現されるのだと思います。
過去は二度と手に入らない世界なのにも関わらず、容易に現在に入り込み、確実にあった世界と自覚することで、安心と痛みが同時にやってきます。
この時間の奥行きや分厚さを実感することは懐かしいという感情特有の現象だと感じます。
ギャラリーにある within には、懐かしさベースの絵がいくつかありますが、上手く出力できたものはまだありません。
強いて挙げるなら「Embers in the Leaves」という絵は比較的よく描けたものですが、それでもやはり、懐かしさは難しい題材だと常々感じています。
過去をなぞりながら描いていると、制作中もどこか寂しい心地よさがあります。
そういう部分も相まって、懐かしさの虜になっている気がします。